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ビートたけし『あのひと』について [1985.10]

 

 この小説集を、ビートたけしはおそらく芥川賞を念頭に置きながら書いたのだろうが、私は、芥川龍之介と吉本隆明の奇妙な組み合わせを思い起こしながら読んだ。そこで、ちょうど吉本が芥川を論じた「芥川竜之介の死」を引き合いに出してみる。

 

 「芥川竜之介は、中産下層階級という事故の出自に生涯かかずらわった作家である。・・・・かれにとって、この劣等感は、自己階級に対する罪意識を伴ったため、出身をわすれて大インテリゲンチャになりすますことができなかった。また、かれにとって、自己の出身階級は、自己嫌悪の対象であったために『汝と住むべくは下町の』という世界に作品的に安住することもできなかったのである」。

 

 「出自」がもたせる「インテリゲンチャ」への距離感を、吉本は自覚的に取り込むことに成功した希有の文学思想家である。芥川は、この距離感を打ち消そうと爪先立った努力を重ね、力尽きて彼の文学的死が訪れたとき、自らの個体にも死を促したのである。

 

 ビートたけしは、この距離感を、「インテリゲンチャ」蔑視の全共闘世代以後の風潮で、カンタンにのり切って、次のようにいっている。

 

 「スポーツは理屈じゃない。理屈はやっぱりあとからつけるものだ。・・・・この初めての小説集は、三〇代後半になって俺が見る前に跳んでみたひとつの結果だ。小説を書くことも俺にとっては一種のスポーツなのだと思う。楽しいスポーツを見るような感じで、この本を読んでもらえたら、ちょっとうれしい」(「見る前に跳べ−あとがきにかえて」)。

 

 ビートは、小説を書くことが、つまらない知識人への仲間入りのつもりではないといっている。そして、下町に生まれ育ち、芸能界に君臨する立場を固持しているのである。このような立場の取り方は芥川とも吉本ともちがっている。芥川のように下町コンプレックスを打ち消そうと爪先立った努力を重ねるか、吉本のように、下町コンプレックスを普遍思想にまで煮詰めるか、という両極性を、ビートがいともカンタンにふみこえられたのは、ひとえに彼の世代が新しいことによっている。下町出であることが劣勢なだけでなく、インテリゲンチャであることも劣勢である、というような価値観の世代に属しているからだ。今や優勢なのは、サブカルチャーの担い手だけで、彼らはけして自らの優勢を過大視することはない。

 

 下町とインテリゲンチャはともに劣勢な価値観の中で、両者の距離感は垂直的なものから、ただの水平的なものへと、九〇度かわってしまった。

 

 ビートの描く小説世界には、究極的には優勢もなければ劣勢もなくなるよりほかない過程に就いたが、まだその過程ははじまったばかりで、優勢・劣勢は消え去り切らない過渡期が、情景として流れている。もし、一切の優勢・劣勢として現れるような距離感がこの世から消失されるならば、何だけが心の綾にとってもんだいなのであろうか。過渡期ゆえに、このようなもんだいを同時にはらまねばならないのだし、そしてまた、過渡期ゆえに、芥川や吉本と等質の下町コンプレックスをもビートは表現せざるをえない。前者は「あのひと」の中に集約的に表現されているし、後者は「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」の中に集中されている。そして、決定的な転換点−一九六八年における過渡期そのものが「新宿ブラインドコンサート」に描かれている。

 

 一、「あのひと」

 ビートには、六〇年代以前の《ビッグ》な芸人への郷愁が色濃くある。それが、マネージャーや弟子たちへの意図的な暴君ぶりを演じさせている。そして、意図(わざとらしさ)が意図的な(わざとらしい)ほど、ビートの芸は現在に受け容れられ、ビートに暴君を演じるのを可能にしてゆく。周囲の日常性が目を丸くするのもわざとならば、暴君を演じるのもわざとなのだ。ほんとうは、現在には六〇年代以前のようなかたちでの日常もなければ非日常もなくなっている。このようにかたちをかえた現在の日常が欲する非日常こそが、六〇年代以前の《日常・非日常のパロディ》だと考えられる。

 

 垂直な優劣関係が消失したところでは、日常の中に非日常をつくり出しては気分転換をしつつ、生と死を摂動させることだけが、心の綾にとってもんだいである。しかし、現在のようにまだ垂直な優劣関係はたくさん残っているところでは、優劣関係の垂直性に非日常的異化やパロディ化の対象は向けられていくことになる。

 

 ところで、ツービートが登場したころの進歩派マスコミは、「反核」運動に便乗していて、ポスト・モダンに乗り換える前の状態で、ツービートのマンザイにたいして考えうるかぎりのバカげたことを言っていた。じつは、「あのひと」の顕在的モチーフは、当時のバカげた進歩派的言説へのフクシューにある。

 

 「ところで、ビートたけしさんの漫才とか漫談っていうのはさ、弱い者いじめとか毒舌とかいわれるでしょう? たしかに、伝統的な笑いの構造が権力に対する庶民の抵抗や風刺であったところからいくと、変わっているってことはいえるんだよね」

 「はあ」

 「いわゆる芸ってものが大衆に根ざした文化の一種だとするなら・・・・」

 「こいつはなにをいっているんだろう、とアキラは思う。こいつはとんでもない大ばかやろうだ。

 「・・・・という状況だと思うんだよね。そこでキミに訊きたいんだけど、ラッシャー君にとって、芸人になるっていうのは、どういうことなのかな?」

 (中略)

 「どうでもいいじゃねえか、そんなこと」

 

 アキラは無意識のうちにそう答えていた。 [五五−五六頁]

 

 二、「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」

 この篇だけはフィクション性がはっきりしていて、「たけし」は公務員である。まじめに大学を出て、やっとの思いで下町を抜け出した中年男として設定されている。あるとき、公用で下町に行くことになる。京成電車の沿線は経済成長に取り残されたために、むかしのままである。そのために、「たけし」は、このタイム・トンネルをつうじて、足立区の空間を自分の少年時代の時間の呼び水とすることになり、いろいろなことを思い出す。

 

 ここで、現在の下町の空間性と少年期の時間性の変換式は、ただ、ひとつである。

 

 「考えてみれば、懸命になって勉強に励み、大学入試に挑み、上級公務員に向かって突進していった私の青春は、足立区から脱出するための戦いだったのかも知れない」。

 

 このようなところで、下町の空間性と少年期の時間性への哀惜は、矛盾し、分裂したものとなっている。懐かしい下町暮らしの少年時代は、少年時代の下町暮らしから脱け出るための必死の努力であっからだ。

 

 「乗車口のあたりに立ってやたら大声で騒いでいる連中もおそらく同程度の頭の持主なのだろう。私はなんとなく、『カンベンしてくれ』という気持ちになった。高校生にもなってそんな調子だととてもいい大学にははいれそうもない。おまえたち、死ぬまで京成線から逃れられなくなるんだぞ、それでもいいのか。/私はごくりと唾をのみ込み、目をそらす」。

 

 「どこからともなくなまぬるい風が吹いてきて、私は席から立ち上がった。そのまま向かい側に何歩か進んで、中年女も、二人の労務者も、全員絞め殺してやりたくなる。このブタ野郎たち!」

 

 「一様に背たけの低い街の景観はいつもの生活で慣れ親しんでいるものとは違っている。ほこりっぽくうす汚れた街並みが、妙に懐かしいと感じられた。人のいない風景だけなら好ましいのかもしれない」。

 

 しかし、《草−バット−代打逆転サヨナラ満塁ホームラン》の変換式で逆立が生じる。

 

 「いま、私の目の前に見えている、通りの向こう端に茂っている名もない草。そこから、あの匂いが漂ってくる。ほのかに心の奥底まで達するような初夏の匂い、それはあのバットに浸みついた匂いと同じものだった。あのときのシャツの匂いが無性にかぎたくなった。もっと強い、もっと濃い『草』の匂いを。向こう側へ通りを渡り、草の茂っているところまで行けば間違いなくかげるだろう。あのとき、うす汚れたシャツを着て帰った私は、何してきたと厳しくおふくろにきかれて、正直に白状した。バットを振り回したくて、草を打ちながらカニ歩きをしてきたのだ、と。案に反して、おふくろは大笑いした。たけし、この大ばかやろうと、大目玉を食らうと思っていたのに、おふくろは、『ばかだねえ』とやさしく笑ってくれた。その日の晩は、買ったばかりのバットと、うす汚れた草の匂いのするシャツと、やさしいおふくろの笑い顔が、私を包んでいた。ほんのちょっと先の、すぐそこに生えている草のところへ行けば、あの懐かしいシャツの匂いがかげるのだ」。

 

 下町の空間性と少年期の時間性が、やさしいものになりすぎた。この代償は、公務員としての空間性と時間性とにはね返って、それを打ち消すものとならざるをえない。すなわち現在の下町の空間性の中に安らぎが見出せなければならないのだ。公務員として現在の時間と空間の中に居る「たけし」にとって、これは矛盾として現れる。公務員の時間と空間から下町の時間と空間へ歩み寄ることは、下町の時間と空間から脱け出ようと必死で努力してきたことと矛盾してしまう。

 

 ここには、ビート自身の現在の矛盾した感情そのものが表現されているとみることができる。《草》に代表される下町の空間性へのノスタルジーと、そこに住む《このブタ野郎たち》への複雑きわまりない感情と、《母》に代表される下町脱出願望が相互に矛盾し、均衡している。

 

 ビートが空想の中で、「たけし」に、《草》の方へ赴かせたとき、矛盾の均衡は崩れざるをえない。《草》すなわち下町の空間性に住む《このブタ野郎たち》は、「人のいない風景だけなら好ましい」などという「たけし」の近づきを拒むかのように、突如、事故をひき起こす。

 

 「キキキーッ!/突然、タイヤのきしむ鋭い音が聞こえ、体がファッと宙に浮いた。(中略)/『だ、だいじょうぶですかッ?』/緊迫した声がこっちへ近づいてくる。/はねられたのだ。(中略)/私は草の匂いがかぎたかったのだ、と口に出していおうとした。なんだか、意識も薄れて行くようだ。おふくろが見たらきっと怒るだろうな、こんなことになっちゃって。懇談会の時間にも間に合いそうもない。このまま死ぬのかな。/『なに? なにいってんの? なに?』/帽子を縫いだハゲあがった男の顔が、私を覗き込んでいる。こいつも、頭の足りないような顔をしていやがる。/こんなやつのために死ぬのか。/そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった」。

 

 現在、ビートが下町に抱いている複雑な感情は、親和しようとすれば、《おふくろ》の下町脱出願望と、《頭の足りないような顔》に対する解決不可能な感情(解放されることは当為であるのに、現実には自分一個が辛うじて彼らの間から《蜘蛛の糸》を辿って抜け出るのがやっとであったということからくる感情)の両方からはばまれるような矛盾としてあるように思われる。ビートの空想の中で、この矛盾の均衡の破綻は、「たけし」に《代打逆転サヨナラ満塁ホームラン》を浴びせる結果となるのだ。童話「蜘蛛の糸」で芥川が描いたのが、下町から逃れようともがいてきた我か身のあさましさと、蜘蛛の糸のいつきれるのかのわからなさに対する不安であるとすれば、処女作「老年」などで、「芥川が示しているのは、決して自分を下層庶民の境遇から脱出させようとしないで、放蕩によって無意味に生を蕩尽してしまう自己の血族にたいする愛着と嫌悪であった」(吉本「芥川竜之介の死」)。

 

 ビートが、あるいは作中の「たけし」が、《このブタ野郎たち》《頭の足りないような顔》に目をそむけようとする視線をもつのは、「愛着と嫌悪」の矛盾によることは余りにも明らかだ。しかし、ビートは「神経的な虚栄にみちた自虐」(吉本)を芥川のような悲劇的なほどにもっているとは思われない。そのたくましい生活者的諦念は「あのひと」に描かれているのである。

 

 三、「新宿ブラインドコンサート」

 人間なら誰でも、過剰な不安と過剰な期待が、経験そのものによって肩すかしを食っていきながら、時間を堆積してゆくにちがいない。しかしまた、経験そのものに辿り着くこともできずに、不安と期待の過剰性を欲求不満へと転化させて堆積させていくことも多くあるにちがいないだろうと思われる。

 

 ビートは、前者のような時間の堆積を「やじろべえ」という篇に、後者のような時間の堆積を「黒豹」という篇に表出している。

 

 「やじろべえ」で高校生の「たけし」は、ボブ・ディランを気取って旅に出、「乞食」に出会いメシをおごられたので、生返事をする「乞食」に「たけし」は熱っぽく、「日本のボブ・ディラン」として語りかける。おそらく、この体験談はビートにとってとても大きなウェイトをもつ実話なのかもしれない。若いということの過剰な理想と、卑小な現実とのギャップに気づきもせずに、

 「『若いうちは悩む』ということばに酔っているのだ」。

 あとになってみて、ふとおかしみが哀しみとともにこみあげてくる。スーパーヒーローと自己との同一視という若い、あるいは幼いということにたいする、哀惜のいりまじったおかしみを感ずる視線が、ビートの演ずる「タケちゃんマン」の重要な核となっていた。ビートのタケちゃんマンと明石家さんまのブラック・デビル以降の怪人とは、「日本のボブ・ディラン」とも同じだし、下町の一隅で子供たちが演じていた「ウルトラマン」と「宇宙人」とも同じだし、もしかしたら大学のキャンパスで学生たちが演じていた「全共闘」と「当局−国家権力」とも同じ位相かもしれないのだ。

 

 「黒豹」では少年時代のリビドーの鬱積と、大学のときの「初体験」直前の時間を重ね合わせて、欲求不満の時間の堆積が刻々と時限爆弾の破裂に向かうような期待感を描いている。

 

 「やじろべえ」と「黒豹」では、やってみたくてもやれないことと、やってみたが期待はずれのようなことばかりであった、大学一年以前のことが描かれている。

 

 ビートが大学二年の年は、たまたま一九六八年という特殊な年であった。そこで体験された解放感が、「新宿ブラインドコンサート」で描かれている。

 

 「日本版ヒッピーが発散する煮えきらなさがたまらなくいやなものに感じられた」たけしは、ジャズ喫茶にいりびたるようになる。

 

 「ジャズ喫茶を根城にした常連たちは、競ってミュージシャン用語の逆さことばを操り、一種の新宿地下文化を作っていた。彼らにとってジャズは、既成の価値観を乗り越える新しい文化を語るときに欠かせないBGMであり、同時に、語り合うべきかどうかを判断するための尺度でもあった。ジャズを聴くやつこそ新しい文化の前衛であり、ジャズがわからないやつは完全に遅れている、というわけだった」。

 

 この辺の描写を読んだとき、たまたま同じ時期に趣味としての六〇年代史への関心から目にした第一次史料のひとつの記述を連想せざるをえなかった。

 

 「『赤軍』No.1論文への批判は第二次ブントで闘いをつくりあげようとしたわれわれ自身の自己批判であり、一向健的世界からの決別はわれわれによる真の革命的マルクス主義獲得の苦闘の第一歩にほかならなかったのである。このことに無自覚なままに過去に依拠し立脚したことさえ黙殺しようとし、『セクトNo.6』などという薄暗い茶店の片隅でサングラスをかけモダンジャズを聞くことをもってよがっていた、ヒッピー族まがいのはるか以前の自己史をもって第二次ブントの苦闘の総括にすりかえよう等という三上治(味岡修)などの情況・叛旗的変節の試みに対しては、云々」(荒岱介『過渡期世界の革命』)。

 

 じっさい、ジャズ喫茶で、たけしは小野田という中央大学の学生と知り合う。

 

 「小野田が喋ることから、たけしはあらゆる知識をどん欲に吸収しようとした。工学部学生としての勉強からはきっぱりとドロップアウトしていた」。

 「たけしは懸命になって乱読を開始した。ボーボワール『第二の性』、カフカ『変身』、カミュ『異邦人』、サルトル『存在と無』、ブルトン『シュールレアリスム宣言』・・・・。むずかしそうな名前の本を買ってきては、書いてある内容を詰め込んだ。吉本隆明の『芸術的抵抗と挫折』なども好きな題名だった。読むというのではない。そこに書かれてあることは、フレーズ、名前を頭に刻みつけるための作業なのだった」。

 

 「その年の五月、パリでは『五月革命』が起き、ド・ゴールの顔色を失わせた。これに続けと、日本の各地で学園紛争の火の手があがっていたが、次第にその動きは七〇年安保粉砕を目指す全共闘運動となって大きなうねりを見せていた。日本中が『政治の季節』を迎えたようで、新宿はその動きのエネルギーの吹き留りになっていくらしかった。/だが穴倉のなかは相変わらず、蒸し暑いジャズの熱気だけが充満していた。政治的アンガージュマンのことは熱っぽく語られても、穴倉から飛び出してゲバ棒を振ろうとするやつは少なかった。/そんなとき、小野田ともう一人の男が、ある日突然、社学同とマジックで書いたヘルメットをかぶって穴倉へ降りてきた」。

 

 このもう一人の男は「たけし」と同じ明治大学の学生で、「たけし」はこの男に誘われて、学生会館のバリケード・ストライキに行くこととなる。

 

 「脇から小野田がヘルメットを差し出した。/『これ、持ってけよ、貸してやるから。格好つくだろ』」。

 

 こうして「たけし」は、中大ブンドの赤ヘルをかぶって明大のバリ・ストに一泊するが、機動隊導入でほうほうのていで難を逃れたのだった。

 

 「結構面白かったが、ああいう形で騒ぐのは危ない。学生運動なんてやるもんじゃない。オレには新宿のジャズ喫茶が合っているとたけしはしみじみと思った。もう学校なんてやめだ」。

 

 そして、小野田が居酒屋でシャンソン歌手の丸山明宏と談笑するのをみて、「たけし」は学校をやめることを決心したのだ。

 

 「やっぱり、これは正しい。オレのいまの生活は間違っていないのだ。オレと同じような暮らしをしていて、同じような話をする小野田が、丸山明宏と楽しそうに喋っている。それならこのオレにも興味があるかも知れない。いや、あるに違いない。オレも小野田のように、ジャズや文学や芸術、演劇、映画、そういったものに詳しくなろう。これまで通り、いや、もっと本を読んで勉強しよう。/『オレのやっていることは、間違っていなかったのだ!』」。

 

 その夜、家に学校をやめたことを告げ、「たけし」は独立する。この時期は「黒豹」で待機され、「やじろべえ」で肩すかしされた「たけし」の期待が充足されたとみえる一時期にちがいなかった。

 

 新宿騒乱に向かう、六八年の夏の、一種異様な街の雰囲気が伝わってくる。それはこの時期を描いたものとしては、いい意味での通俗性を得た表現となっているものだと思う。

 

 芥川龍之介や吉本隆明が、生活の下町と知識的な上流とのあいだの垂直的な権力関係を重荷として受け取らざるをえなかった社会構成の中で育ったのにたいして、ビートらいわゆる「全共闘世代」は、それらが水平的な関係に転化していく瞬間に立ち会った世代である。

 

 ビートが生まれ育ったのは、芥川や吉本が生まれ育ったのと同じに下町とよばれる古い《大衆の原像》の圏域であった。下町(古い大衆の原像)に対立するのは、大学(インテリゲンチャ)である。これに対して、「大学解体」を叫び、インテリゲンチャへの蔑視へと突き進んだ新しい圏域を象徴するのは、新宿のジャズ喫茶である、とよめるように「新宿ブラインドコンサート」は書かれている。

 

 そこでは、生活は知に引き寄せられ、知は生活言語に突入してしまう。生活と知はもはや垂直的な距離感ではなく、せいぜい水平的な距離感でしかなくなろうとしはじめている、といってよいのだ。

 

 小説の中で、「たけし」が女子店員をボーボワールの『第二の性』がどうしたこうしたと一気にまくしたてて口説こうとして、「ばかじゃない」とあしらわれる場面がある。これは、所詮、「大衆」と「知識」は遠いものだと言っているようにみえるが、ほんとうはそうではなく、「大衆」と「知識」が急激に接近したところでおこった一場の喜劇を表しているものとみるべきである。全共闘学生は教授をバカよばわりし、その全共闘学生は女子店員にバカよばわりされる。当時はまだ、知なるものが、普遍性を蔽うかのような錯覚が最期の命脈を持続していた。この錯覚がはた目からみてバカさ加減と映ったのである。知なるものは、大衆と同じ水平上で、サーフィンやテニスと同じような局所性をもつにすぎないところへ、急激に転換していったのだ。

 

 「たけし」の境遇上、下町(古い大衆の原像)−新宿(新しい圏域)−大学(インテリゲンチャ)がバランスよく配置されている。そして、学生叛乱の昂揚の中で祭り気分の解放感を充満させた「解放区」として、六八年の夏の新宿が描かれている。そこに居れば、誰しも充たされたような気分に浸れるかもしれない。その空間の一隅でブラインドコンサートでたまたままぐれあたりをして、至福を味わうことができた。そういうビートの懐旧談が成功している。この懐旧談は新宿騒乱の予感でおわっているが、やがて「解放区」も雲散霧消し、そこから、「ビートたけし」が世に出るまでの十年間の苦渋の「七〇年代」の堆積が、ビートの奥行きともなっているはずだと思われる。

 

 (註)ブラインドコンサートとはレコードの演奏者をあてるクイズのことだそうである。 

 

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